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8月6日に思うこと
symzakさんの「悲しい閃光
55aiaiさんの「ヒロシマ 原爆の日
ai-nakonさんの「60回目の広島平和記念日
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8月6日を前にして、NHKの原爆特集の番組を見ました。その番組で取り上げられていたのは「ヒロシマをどう伝えていくか」。

アメリカの高校の歴史の教科書では原爆についての記述は2ページだけ。 しかもその大部分は投下にいたる経緯に割かれていて、その後のヒロシマについての記述はほとんどないのだそうです。実際に画面に出てきた高校生たちの多くは「戦争を終結させるためには原爆投下は必要な方策だった」と受けとめていました。 

同じ番組では初めての核実験から60周年の記念日を祝うために集ったアメリカ人のインタビューも紹介されていました。そこに集った人たちの「核開発の成功は素晴らしいこと」というコメントを聞いて思い出したのは1998年のインドの核実験のことでした。 隣国パキスタンとのジャムー・カシミールを巡る一触即発の状況下で行われた核実験。 そのニュースを聞いてインド人・・・それもアメリカやイギリスなどへの留学経験もあるような国際感覚を持ち合わせているはずの人たちを含む大多数の人が口にした感想は「これでインドも技術大国として世界に通用する国になった」という誇らしげなものでした。

この60年間に、唯一の被爆経験国である日本は世界に向けて核兵器の恐ろしさを充分に伝えることをしてきたのでしょうか? 核開発国に対して政治的な働きかけなどをしてきたのでしょうか? インドでの経験を思うと疑問に感じます。

米ソ冷戦時代は大国が牽制のためにちらつかせるカードだった核兵器が、今は国際社会の中で必ずしも安定した位置を占めてはいない国が切り札的に握りしめている。 そんな現状には危うさを感じてしまいます。

原爆投下から60年経ち、日本の中でも遠い過去の出来事として風化していくことが懸念されているようですが、昨今の北朝鮮の核問題などでもわかるように、「核兵器」を振り回す時代は未だに終わってはいません。

再びNHKの番組に戻りますが、その番組で紹介されたシカゴの平和資料館(のような施設)の方が仰っていた言葉がとても印象に残っています。 「同時多発テロ以降、平和を訴えることは愛国心に反することと見なされてしまう」。 確かに敵対するものがある時に愛国心はより一層燃え上がるものなのかもしれません。 でも大切な物を危険から守るために闘うよりも、大切な物を危険にさらさない努力をすることの方が、大事なことだと思うのですが。

偉そうなことを書き並べてみても、実際には広島には行ったこともなく、被爆者の方々の苦しみはカケラほども理解することはできない私だけれど、8月6日の平和記念日に、改めて「平和」について考えることで被爆者の方々への哀悼の意に代えさせていただきたいと思うのです。
by KURIinHK | 2005-08-06 17:55


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